10月のもとで

モスクワから

外国語劣等生

十数年ぶりに学生をして、気づく。

来ている日本人留学生たちは、語学エリートやん。

東京外大とか上智とか神戸外大とか。彼らは、高校まですっごく英語ができたから、そんなところに進んでいるのだろう。

一方、わたしは、高校のとき英語偏差値は40だった。いまもちっともその能力は向上しない。たぶん音痴だからだ。

それなのに、なんの間違いか、こんなわたしが国際派となり、海外で仕事する。一方、おそらく彼らの8割は、海外で仕事しないだろう。

 

劣等感の塊ではあるけど、こうした「語学エリート」にあわれみを抱くこともなくはない。

「わたしの専攻はロシア語なんですよね。専門が言語」と、彼らからしばしば聞く。たしかに、薄っぺらい。手段が目的化している。プロレタリアートの幸福が目的で革命は手段だったはずだったのに、いつまにか革命が目的となり、革命が目的でセクトは手段のはずだったのに、いつのまにかセクトの維持が目的となったように。

とはいえ。目的と手段は、つねに渾然としているものだ。

でも。「専門がロシア語です」。やはり、薄っぺらすぎる。プラトーノフ読みたいから、だってバレエが、レーニンが……こちらが真っ当だとは思うのだが。