10月のもとで

モスクワから

実存

60~70年代にはやっていた言葉。

実存主義の哲学史での位置づけもあるのだけど、それはとりあえず措いて。

言葉の用法としては、「きみの実存はいったいなにかね」「なんのために実存しているのか」みたいに使っていた。

「生きる意味」とか「レゾンデートル(存在理由。これも死語)」とか「生きていること」、あるいはもっと簡単に「生活」とか「わたしの大切なもの」くらいな感じ。

 

さて。引っ越しについて話していて、ふと思い出した。

わたしの実存のひとつについて。日本に住んでいるころ、いつも3000冊の蔵書に囲まれていた。引っ越したびたびだったけど、せっせと蔵書も運んでいた。「この本たちは、わたしの実存のあかしだ」と考えていた。

いま、モスクワ暮らしで、蔵書はゼロに近い。100冊ほどがキンドルに入っている程度。でも、なんにも困らないし、実存の危機もまったくない。

 

当時の実存意識はなんだったのだろうか。