10月のもとで

モスクワから

ゴドーを待ちながら

ベケットのゴドーを見にいった。日曜日。

新演劇劇場なるところが遠く、地下鉄駅からバスで30分。

キンドルに日本語版がなく、読まずに。キンドルの貧困。

エストラゴンが若い。ポッツォの役者が最もうまい。

なんにも起こらない、あるのはただお喋りだけ、というのを表象するのは、芝居がいいのか、文学がいいのか。生は、なにかを夢想しながらの暇つぶしにすぎない、と改めて再認識。20年前から進歩がない、われながら。

チェーホフ劇も、なんにも起きない。お喋りしているだけ。ベケットはそれを先鋭化させた、ということは、モスクワで芝居小屋通いしているいまならわかる。