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10月のもとで

モスクワから

同棲

同棲を始めた。だれかと暮らすのは、6年ぶり。日本語で仕事しているので、このままだと言葉が身につかないのではないかという危機感から。でも、愛情に基づくものではなく、契約に基づく同棲というか同居。要するに給与を払っている。語学教師兼家政婦兼売春婦、というと語弊があるか。とはいえ、世の専業主婦は、これに近いような気もする。

最初1か月は試用期間、と口約束はした。契約書をつくっているわけではないので、揉めるとめんどくさいとは思う。簡単には追い出せないだろうし。揉めたりするのも含めて外国語の勉強だろうとも考え直す。

「先生」

独身で余裕があるためか、年齢とともに堕落の度合いを増している気がする。

 

いま、ロシア語の「先生」が3人ほどいる。どれも20歳そこそこの美人。

それぞれ週に1回計4時間ほどで、レッスン代は1万5000円。

ご飯たべて、それから、という流れ。

計週3回なので、月に18万円で、年間だと216万円か。

ついでにいうと、1年間で12ダースを使う計算。144回。

あと3年滞在すると仮定して、計648万円。

 

これでロシア語が本当に身につくなら、安い投資な気がする。

たとえロシア語が身につかなくとも、十分楽しい時間をすごしているし。

どっかのビジネススクールでMBAでも目指そうものなら、もっとかかる。

子どもひとりを大学だすのは、もっとかかる。しかも、それに彼女はついてこない。

 

東京にいるころ、日本語の「先生」とのレッスン代はもっとかかってたと思う。18万円では済んでなかった。なにせ、ご飯とタクシーが高かった。

 

しかし、どこかで破綻を招くような気がしてならない。

ゴジラとインディペンデンスデイ2

飛行機に乗って、ぐでんぐでんになりながら、表題のふたつの映画を立て続けに。われながら、アホこのうえない。エイリアンが襲ってきて地球防衛隊が守るという同じテーマ。前者は核兵器使用を阻止する話で、後者はばんばん使いましょうよと。

 

インディペンデンスデイは20年前の続編で、核への認識はまったく変化せず。一方ゴジラは、やっぱ福島の経験がある分だけ、進化してる。

奇遇

元妻の元カレとモスクワで飲んだ。出張してきたらしく。8年前に元妻との結婚式の三次会で、渋谷の元遊郭のいまは鉄板焼屋で彼と一度飲んだ。ぼくは彼のことをまったく忘れていたが、先方は覚えていた。たまたま彼が出張で、モスクワに来ていた。

 

肩書'

肩書が大好きだ。俗人なので。みんなと同じように。

 

FXというギャンブルをやっていると、これまで知らない肩書に出合う。ブルームバーグの記事。

「サンフランシスコ連銀総裁」。

アメリカの連邦銀行(FRB)の一番偉い人は、「議長」。

なのに、連邦銀行サンフランシスコ支店長の肩書は「総裁」。

日銀京都支店長の肩書が「総裁」で、日銀総裁の肩書が「議長」。やはり、わからん。

 

以前は、国鉄とか電電公社とか専売公社とか道路公団、住宅公団とか、総裁はわりといたけど、いまは自民党と日銀だけ。

 

トップの肩書。

書記長とか総書記。訳語感いっぱいだけど、ぞくぞくする。

セクレタリーなので、日本語の普通の語感だと「事務局長」なんだろうけど、それじゃ、ぞくそくしない。

 

 

 

国柄

意味のわからない言葉というのは、たまに出くわす。

右派がいう「国柄」も、最初よくわからなかった。

人柄はあっても、国に柄はないだろう、と思っていた。

右派連中にとっては、現在さすがに「国体」は使えないので、という苦し紛れなんだろう。

同じように、当初当惑したのは「日米同盟」。日米安保じゃなかったかしら、と思うが、国際法的には同盟の方がしっくりくるわな、と思い直す。

 

国体とか国柄を表すであろうある家族には、婚姻の自由がなく、選挙権もなく、職業選択の自由もない。要は、基本的人権がない。

このかわいそうな家族は、国民から見られるのが商売、つまりペットだ。

国民総意のもと、ペットを飼っているのであれば、許容しなきゃ、か。

わたしはマルクス主義者なので、この制度には反対だが。

相場報道

これまで全然どうでもよかったけど、自分が相場をやってると、報道で相場が動くのがよくわかる。

 

でも、ネットだけだと、書き飛ばしているのか、記者に自信があるのか、あまりわからない。だから価値判断が難しい。にもかかわらず、相場は動く。

日経が1面トップで「日銀、追加緩和検討」と打つと、見出しや本文は「検討」であっても、それは「間違いなく追加緩和する」という意味だ。実現の可能性が非常に高いので、1面トップの価値がある。

 

一方、ロイターが「日銀は追加緩和を検討」と書いても、相場は動くのだが、そのニュース価値の扱いがまったくわからないので、信ぴょう性が判断できない。ロイターが配信しても、翌日のウォール・ストリート・ジャーナルの1面トップにはならないだろう。

 

つまり、NHKなら午後7時なのか、午前4時なのか、新聞なら1面なのか中面なのか、ニュースの「扱い」は、そのニュースの価値つまり実現性の高さを表す。この「扱い」による信用性は、朝日新聞とアサヒ芸能ほども違う。

 

ネットでしかニュースを読まない人は、その信ぴょう性の高低をどう見極めているのだろう。権威主義だけ?

新聞をばかにしている人はたくさんいるけれど、全国紙の1面に載っていれば、けっこう信用してもいいと思う。それが当たらなければ、責任とる人がわりといるわけなので。

 

しっかし、経済ニュースってぬるい。「検討している模様」が許される。

捜査もので「きょう、○○氏を逮捕する方向で検討している模様」とは、絶対に書けない。何千億円のカネの行方より、人権が大切なのは当たり前か。

相模原事件。「不名誉な死」なのか。

19人が死んだ。戦後史に残る大事件だ。

 

しかし、警察は被害者名を発表しないという。

 

マスコミの建前。「実名発表しないなんてけしからん。個々人の顔の見える被害を明らかにしないと、事件の悲惨さが伝わらず、再発防止につながらない。発表しないなんて恣意は許されない。警察は何様だ」

 

マスコミ幹部の考え。「抽象的な被害だと読者は読まない。視聴者はみない。お涙ちょうだいのストーリーつくれない。でもまあ障害者だし、ストーリーつくれないし、しゃあないか」

 

マスコミ現場の考え。「実名発表しないと取材が楽になる。だって、顔写真とか取らなくていいんでしょ。嫌がる家族に取材しなくていいんでしょ。お涙ちょうだいがなければ、こんな事件早々に終わるし、しんどい取材しなくていい」

 

今回のケースは、「被害者が障害者。だから、世間的に特殊で、同情をひかない」となるので、取材する側はとても楽だ。前例として、大阪の個室ビデオ屋放火事件と、新宿歌舞伎町火災。前者の客の被害者はいうまでもないが、後者の被害者の大半はオッパプ嬢だった。両方とも、「報道すると、被害者の名誉が傷つく」という言い訳のもとに、被害者取材をほとんどしなかった。「不名誉な死」というやつだ。

 

だって、障害者でしょ、だって風俗で働いてんでしょ、だってアダルトビデオ見て抜いてたおっさんでしょ。これが大衆心理を反映したマスコミ心理。「障害者の人となりを報道すると、被害者の名誉をそこなう」。ひどい差別だけど、警察もめんどくさいし、マスコミもめんどくさいから、実名割るためにがんばらないだろう。

アルジェリア人質事件は、政府が発表しなくてもマスコミが被害者を割り出したが、今回はそこまではしない。

「だって障害者でしょ」「施設に入ってたんでしょ」。マスコミ心理は、あなたの心理だ。

 

今回も、死者数のわりに、すぐ忘れられる事件になるだろう。個室ビデオ放火のように。ふつうの人、読者視聴者やその子どもが被害者になる可能性のあった秋葉原の無差別殺傷事件や池田小事件とは、決定的に異なる。

 

まー、障害者業界では、100年先も語り継がれるんだろうが。同和業界で、明治におこった事件がいまでも語り継がれるように。

 

とはいえ。障害者の親はある意味特殊というか、子どもを思う気持ちの表現法が特異な人がけっこうな割合でいるので、「わたしの子どもはこんなだった」「殺されたのはおかしい」と声高に叫び、それがマスコミに取り上げられる可能性はある。でも、それが、大きな報道になることはないだろう。

コニャック

コニャックは、葡萄から。

 

アルメニアというコーカサスの国があり、コーカサスというのは、ロシアの南で、

黒海とカスピ海に挟まれた地域で、トルコの西で、イランの北なのだが(こう書いてもだれもわかんないんだろうが)、ちなみにそれはカフカスとも呼ばれており、チェチェンとかグルジアもそうだんだけど、とりあえずはアルメニアの話で、そこでつくられるブランデーは、フランスのコニャック地方でつくられるブランデー並みにおいしいとされ、ロシアでコニャックというとアルメニア産のブランデーを指すことが多く、若い女性に「コニャック飲みたい」といわれたわたしがなんとなく買ったコニャックは当然アルメニアコニャック、つまりアルメニア産のブランデーだと思っていたら、後でラベルをみるとフランス産だった。5000円ほど。本物のコニャックを飲むのは初めてかも。というか。アルメニアコニャック飲んでみたい。

自分を変える。FX。賭博しない人間から、する人間へ

人間は、たいてい惰性で生きている。これまでの習慣を後生大事にする。

自分で自分を規定し、「これが自分だ」とうそぶき、つまり、傷つかない言い訳を用意し続ける。

でも、それは、新しいことに挑戦しない怠惰な人間だ!

こんな物言いはよくある。

 

そんなわけで、わたしも自分を変えてみよう。

賭博しない人間から、する人間へ――。

 

高校生のときに競馬にはまり、毎週競馬場に通っていたが、わたしは賭博に弱い、と悟った。なので、その後、大学生のときに麻雀もしなかったし、競馬もパチンコもしない。賭博とは縁のない人生を送ってきた。「自分は賭博に弱い人間なんだ」。こう言い聞かせてきた。ラスベガスで10万円をすったときも、「自分の自己規定は正しかった」とむしろ妙に自分を褒めたかった。

 

↑この精神は、惰性の現状維持の弱い人間だ!人間は変わらなければいけない!

 

そんなわけで、自分を変えるために、FXという名の賭博を始めてみる。

 

この欺瞞的な論理法は、なんと名付けられているのだろう。悪をなすことを正当化するために、あたかも正義をなすかのように偽装する論理法。

 

しかし。わたしは、飲む、買うは盛んなわけで、そこに、打つが加わるって……。やはり、やめておくべきか。

天皇退位

久しぶりの大ニュース。日本時間14日午前4時現在で、各報道機関のネットニュースを読んだ限りでの感想。

 

始まりはNHKの午後7時のニュース。ここでのトップニュースで「退位意向」と放った。「天皇が近く、自分の意見を国民に公表する方向で調整」。あわてた各社は一斉に後追い、毎日、産経、日経は「天皇が自分の考えを公表へ」とNHKと同じトーン。一方、朝日、読売は「意向がある」のは載せたが、その意向を「公表する」かどうかは言及していない。

一方、当の宮内庁はNHKの報道について完全に否定。「宮内庁で退任を検討していない」のみならず、「天皇はそうした気持ちを持っていない」とまで言い切った。

 

現時点の事実としては、天皇自身はそう思っている。でも、そうした意向を正式に公表するかどうかは、宮内庁内でまだ組織決定していない、というところなのだろう。で、天皇の意向に沿いたい派閥の宮内庁内か官邸内の誰かがNHKにしゃべって、報道させて、皇室典範改正議論をさせようとした。

  

たとえ話。

我が家の老飼い犬・アッキーは、長年飼い犬暮らしをやってきて、もう疲れたから野良犬になりたいと思ってる。12人家族の我が家。でも、犬語をわかるのは、おじいちゃんと10歳の孫だけ。おじいちゃんはアッキーの気持ちはわかっているけど、アッキーに出ていってほしくない。死ぬまでペットでいるのが我が家の伝統だったんだから。ペットの分際で「野良犬になりたい」なんて生意気いうな、と思っている。

一方、孫はアッキーがかわいそうなので早く野良犬にしてあげたい。家庭内の権威は圧倒的におじいちゃんが上だ。おじいちゃんを出し抜くために、孫が近所に「アッキーは野良犬に帰りたい、と言ったんだ」と言いふらした。「もうすぐアッキーが自分でそう言うよ!」と。

 

別のたとえ話。

渥美清はもう引退したいと思ってる。でも、プロデューサーは「あのさ、あんたには引退する権利なんかないの。死ぬまで、寅さんやってくんなきゃ。だいたい、あんたの財産なんかないのよ、やめてこれからどうすんの。財産はぜんぶ、松竹のものよ」。渥美に心酔する付き人は、本人に無断で、週刊誌に話し、週刊誌は「渥美清、引退へ。近く、記者会見」と掲載させた。一方、松竹は「引退したいなんて、渥美清本人はまったく思っていない。会見なんか開くはずがない。契約は死ぬまで残っている」。

 

犬の意向は、どうでもいい。だって、ペットなんだから。ペットに発言権はなく、そのペットの「意向」をかさに、なんらかの物事を進めようとするのは誤っている。孫の行動は誤りだ。「アッキーの好きにさせようよ」は、憲法が禁じている、のだ。

 

とはいえ。憲法による建前の制度と現実は異なる。現実世界では、天皇の「意向」なるものは大きな影響力を持つ。飼い犬アッキーは言葉を話せないが、アキヒトは言葉を話せる。NHKが報じるように、ほんとにアキヒト本人が自分の考えを公表すれば、NHKは歴史に残る大スクープになる。でも、それは、制度によって禁じられているはず(というのがわたしの考え)。

 

なので、NHKや、それに引きずられた毎日、産経、日経は飛ばしで、結果的に誤報になると睨む。言葉をかえると、NHKにリークした側が権力闘争で負けると読む。渥美清より、松竹が勝つ。孫より、おじいちゃんが勝つ。ニュースで大事なのは「ペットの気持ち」ではなく、実際の今後の結果、だ。

 

さて、どう転ぶか。

外国語劣等生

十数年ぶりに学生をして、気づく。

来ている日本人留学生たちは、語学エリートやん。

東京外大とか上智とか神戸外大とか。彼らは、高校まですっごく英語ができたから、そんなところに進んでいるのだろう。

一方、わたしは、高校のとき英語偏差値は40だった。いまもちっともその能力は向上しない。たぶん音痴だからだ。

それなのに、なんの間違いか、こんなわたしが国際派となり、海外で仕事する。一方、おそらく彼らの8割は、海外で仕事しないだろう。

 

劣等感の塊ではあるけど、こうした「語学エリート」にあわれみを抱くこともなくはない。

「わたしの専攻はロシア語なんですよね。専門が言語」と、彼らからしばしば聞く。たしかに、薄っぺらい。手段が目的化している。プロレタリアートの幸福が目的で革命は手段だったはずだったのに、いつまにか革命が目的となり、革命が目的でセクトは手段のはずだったのに、いつのまにかセクトの維持が目的となったように。

とはいえ。目的と手段は、つねに渾然としているものだ。

でも。「専門がロシア語です」。やはり、薄っぺらすぎる。プラトーノフ読みたいから、だってバレエが、レーニンが……こちらが真っ当だとは思うのだが。

 

辞書死ね

掻き出し夫、甘藍、止血帯、不行状……

マニアックな話。

ロシア語の電子辞書の見出しだ。

訳語をさらに国語辞典で引かなきゃわかんない例。

 

マイナー言語の悲しさとして、電子辞書になっているのは1種類(三省堂)しかなく、最後の改訂は2003年にもかかわらず、上記のように古めかしい言葉でできている。改訂作業をまともにやったとは到底思えない。

紙では、去年、小学館が新たに出した。岩波も三省堂よりは訳語が現代的なのに、電子辞書にはなってない。てめーら、ちゃんと、カシオに営業せーよ。カシオの独占市場なんだし。

 

また。英語の「ターゲット」みたいな単語帳もない。いま5000語レベルの英語対訳ABC順の単語帳を、Aから覚えてるが、まもなく終わる。次どうすりゃいいんだ。辞書を単語帳代わりに使え、と先達。はあ。

選挙

あした、国政選挙だが、この日に仕事しない。過去12年で初。

しかし、投票できない。在外投票権はあるのだが、そのためには大使館に居住登録の申請をしなきゃなんない。億劫でやってない。

盛り上がってないし、結果もわかってるし、まあ、いいや。

共産党以外には入れたことない。我ながら、思考の怠惰。

モスクワ礼賛

 

 「スパイ映画でしか知らない連中に告げておく。モスクワを見てから、死ね」(アントン・チェーホフ)
 夜遊びが好きな人にとって、モスクワは一長一短だ。夏は午後10時ごろまで明るい。でも冬は4時には真っ暗。緯度が高いというのは、そういうこと。つまり、明るい時間と暗い時間は、年間を通すとゼロサム。海外旅行の行きの飛行機で、時間を得したと思っても、帰りに損するので差し引きゼロと同じように。明るいか、暗いか、どちらの時間が好きかは、人によるが。
         *           *
 引っ越し魔のわたし。細かくは省略しても、生まれてから大まかにこんな感じで移動してきた。京都・四条大宮→同二条城→滋賀・甲賀→ドイツ・ドレスデン→同ライプチヒ→京都・仁和寺→東京・高円寺→大阪・大国町→東京・立川→町田→後楽園→四谷三丁目→浅草橋→モスクワ。京都で小学校まで育ち、思春期が滋賀の片田舎で、大学はまた京都、ここ10年は東京暮らしだった。海外は、90年代末にドイツの旧東独地域の都市で1年暮らして以来。
 モスクワで、偏見に凝り固まっていたことに気づく。フランスから来たバイセクシュアルの友人に誘われた。「ハッテン場いこうよ」「え、そんなんあるの? 反同性愛法のあるほどホモフォビアの激しいこの国なのに」。地下鉄のホームで待ち合わせて行ってみると、とてもこぎれい。服を脱いでバスタオルを巻く。ハッテン場にあるのは、脱衣所、バー、風呂とベッド付きの暗い部屋。以上。これがすべてだ。残念ながら、異性愛者のわたしは、暗い部屋で同衾しなかったけれど、風呂とバーだけでもすごく楽しめる。だって、公共銭湯は少ないし、この街に。
 ロシア語の初級教科書にこんな下りがあった。マイケルとかロベルトとかローザとかアキラとか多国籍の登場人物が、モスクワの長所を語り合う場面。
 女好きのイタリア男のロベルトは「眠らない街」を挙げる。たしかにスーパーや薬局も24時間営業の店がけっこうある。コンビニがなくても、スーパー開いてれば、そっちの方が便利。
 一方、眼鏡でオタクっぽい日本人のアキラは「交通」と主張する。地下鉄の総距離は大阪を上回る。東京ほどの複雑さはないが、電車が来る頻度は丸ノ内線を上回る。待たなくても乗れる。最大の特徴は、深く、深いこと。大江戸線の3倍ほどの深度で、それが地上からホームまで一本のエスカレーター。3分くらいエスカレーターに乗っている。なんでこんな深いのか――スターリンが戦後こう命じたからだ。「核戦争になってもつぶれない地下鉄をつくれ」。教科書のその他の登場人物――ローザとかマイケル――がどう答えたか忘れた。
         *           *        
 外国で、高い安いを述べ立ててもあんまり意味はないのだけど、アキラが主張するように交通がとても便利で、圧倒的に安いのは事実。地下鉄で1駅でも15駅乗っても、初乗り運賃。どこまで行っても同じ料金だ。例えば東京で深夜に銀座から江古田までタクシーで帰れば6000円ほどするに違いない。でも、モスクワのタクシーだとその距離で600円。寒いと、すべてタクシーで移動してしまう。
 モスクワには、東アジアやエコ意識の高い西欧とちがい、自転車の文化がない。無人のレンタル自転車はあるのだけど、娯楽としてのスポーツ感覚。スーパーに買い物にいったり、駅までいくための手段ではない。買ったんだけど、酔ってどこに止めたか忘れ、どこかにいってしまった。
 京都はカネがない学生でも楽しい街だ。学生にやさしい。でも、カネがあるともっと楽しめる。たとえば、祇園のお店。うまいよ、ほんま。東京は、ある程度、まあ、1人1万5000円の居酒屋というか割烹なりに躊躇なくいけた方が、いけないよりは楽しい。たぶん。それ以上の世界は、知らない。
 モスクワでは、だれも外食はしない。日本だと30~40年前の田舎の生活を想像すればいい。たまの外食は、ハレの日という、あれ、だ。なので、女性を外食に誘うと、ドレスつまり盛装だ。わたしは小汚いのに。
 芝居小屋も同様。東京暮らしの頃は、職業のせいもあって、なかなか演劇を見にいけなかった。予約してチケットを買っても、いけない場合がしばしばだったから。いま、学生に戻っている。だから、芝居小屋通い。ここでは、劇場は、典型的なハレの場所だ。いわゆる小劇場でも、もちろんボリショイ劇場ほどではないけれど、着飾って来ている人々は多い。
 ロシア人というかモスクワっ子というかロシアに誇りを持つ愛国者というか、高学歴層は、演劇への誇りはとても高い。「歌舞伎座にいったほうがいいよ」「野田秀樹は絶対みなきゃ」。外国人に自信をもってこう勧められる、日本の高学歴層はどれくらいいるのだ? 実際、モスクワの演劇のレベルはとってもとっても高い。
        *           *
 この街は、パリやロンドンやローマや、それに東京と比べても、そりゃ、洗練されてない。石畳もなければ、おいしいコーヒーやお茶を飲ませる店は皆無。有名無名のデザイナーの服を売る店舗すらない。旧ソ連時代のもっさい集合住宅を改装して店舗にしているのだから、おしゃれになりようがない。でもさ。日本でも、東京など一部の都会を除くと、どこもかしかも、もっさいのを思い起こしてみよ。
 10年後、東京にいるか沖縄にいるか、それともリオデジャネイロ辺りにいるかわからないが、モスクワのどの場面を思い起こすのだろう。
 エセーニン(中原中也みたいな詩人)という名のバーの地下か、置屋というか売春宿で色っぽい女性が5~10人あらわれるのを指名しているところか、300メートルのタワーに登ろうとして身分証がないため登れなかったことか、ベケット劇を見るためにマイナス20度のなかバス停で延々待ったことか、サウナに売春婦を呼んだことか、ストリップで酔いつぶれているところか、ホームパーティーを催してちらし寿司をいっぱい作ったのにいっぱい余ったことか。
 どれも帯に短い。あと3年、ひょっとしたら4~5年は住むので、いずれ、記憶の帯か襷は見つかるだろう。下半身に関係する思い出になりそうだが。
 ところで、冒頭のかぎ括弧は、うそ。チェーホフの時代にスパイ映画はありません。この国で、チェーホフなどの文学者はとってもとっても偉い。公共工事のため道路を封鎖しているフェンスに貼られたポスターが、チェーホフ。町中で芥川龍之介が、例の難しい顔で睨みつけている――東京でも京都でも、それを想像できる?